大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成2年(ワ)14786号 判決

原告

朴華成

ほか一名

被告

坂田惠喜男

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、各自、原告朴華成に対し四八六四万一三四四円、原告李南伊に対し二四三二万〇六七二円及びこれらに対する平成元年七月三一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  争いのない事実及び証拠によつて容易に認定しうる事実

1  本件事故の発生(争いなし)

被告は、平成元年七月二一日午前零時三五分ころ、普通乗用自動車(個人タクシー、以下、「被告車」という。)を運転し、「新目白通り」を東から西に向けて進行中、東京都文京区関口一丁目四一番四号先交差点付近(以下、「本件現場」という。)において、横断歩行中の訴外亡金東沃(以下、「訴外亡金」という。)に被告車を衝突させた。その結果、同人は頭蓋内損傷の傷害を受け、同月三〇日死亡した。

2  責任原因(争いなし)

被告は、本件事故当時、被告車を保有し、これを自己のため運行の用に供していた。よつて、被告は、自動車損害賠償保障法三条本文による損害賠償債務を負うべき地位にある。

3  相続(甲一、二)

原告朴華成は訴外亡金の妻、原告李南伊は母であり、他に相続人はいない。(なお、原告らは、「相続分は、原告間での合意により、原告朴が三分の二、同李が三分の一である。」旨主張する。)

4  既払額(争いなし)

自賠責保険金として二〇〇〇万円、治療費として五三万四四九〇円、その他二〇〇万円、合計二二五三万四四九〇円が原告らに支払われた。

二  争点

1  損害額

原告らは、訴外亡金の損害として、〈1〉既に支払われた治療費のほかに、〈2〉遺体運送費、〈3〉葬儀費用(仮葬儀費用を含む。)、〈4〉大韓民国と日本との間の旅費、〈5〉その他の交通費、〈6〉死亡による逸失利益、〈7〉慰謝料及び〈8〉弁護士費用を求める。被告は、これらのうち、とくに、逸失利益について日本国内における平均賃金を基礎とすることを争う。

2  過失相殺

被告は、「訴外亡金は、横断歩道及び歩行者用信号機が設置されている本件交差点において、赤信号を無視して横断した過失がある。他方被告は青信号表示に従つて制限速度内で進行したものである。」旨主張し、原告らは、「本件事故の際、訴外亡金は横断歩道上を横断していた。」旨反論する。

第三争点に対する判断

一  本件事故の態様

1  証拠(甲一二、乙一の一、二、証人草野弘輝の証言)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 本件現場は、別紙現場見取図のとおり、東西に通ずる「新目白道り」上にあり、江戸川橋交差点から西方約五〇〇メートルにある交差点(以下、「本件交差点」という。)の付近である。新目白通りは、車道幅員二一・四メートル、片側三車線の、アスフアルト舗装の直線道路(以下、本件道路」という。)であり、路面は平坦で乾燥している。その中央には中央分離帯があり、同所内には高さ約一メートルの植込がある。

本件道路の最高速度は時速五〇キロメートルに制限されており、また、歩行者の横断禁止の規制もされている。

本件交差点には、本件道路を横断する歩行者等のために、歩行者専用押ボタン式信号機が設置されており、本件事故当時、正常に作動していた。また、横断歩道、自転車横断帯も設けられている。

本件道路の見通しは良く、また、夜間でも街路灯によつて明るい。

(二) 被告は、被告車を運転し、本件道路の第三車線(中央寄り車線)を、東から西に向けて、時速約五〇キロメートルの速度で進行し、本件交差点に差しかかつた。そして、青信号表示に従つて、本件交差点に設置されている横断歩道な通過するあたりで、自車の約二二メートル前方の中央分離帯の植込に、訴外亡金がいるのを発見し、急ブレーキをかけたが間に合わず、発見地点から二二・一メートル進行した地点で、自車前部を、横断中の訴外亡金に衝突させた。

衝突地点は、第二車線と第三車線の白線上付近(中央分離帯端から三・九五メートル程度車道に入つていることになる。)で、本件交差点西端からは七メートル以上西に離れた地点である。

(三) 一方、訴外亡金は、本件交差点の歩行者用信号機が赤信号であつたのに、被告が進行してきた車線の対向車線を横断し、そのまま中央分離帯の植込を越えて被告車の進行車線を横断し始めたところで、本件事故に遭つた。訴外亡金が横断を始めた中央分離帯上の植込の位置は本件交差点端から七メートル余り西の地点である。

(四) 訴外亡金は衝突地点から一七・三メートル先の路上に転倒した。一方、被告車は衝突地点から一九・八五メートル先の地点に停止した。なお、被告車のスリツプ痕は、本件交差点の自転車横断帯西端から六・二メートル西方の地点から一四・二メートルの長さで付着している。

2  原告らは、訴外亡金は横断歩道上ではねられた旨主張し、衝突地点を争つている。しかしながら、被告の指示説明と、被告車の後続車の運転者である草野弘輝の証言は、訴外亡金が被告車の進行車線上への横断を開始した地点について一致していること、草野は、後記のとおり、それ以前の訴外亡金の行動を見ており、その地点も対向車線上に表示されている本件交差点の停止線から四メートル西にはずれた地点である旨証言していること、本件交差点の西方に居合わせた増田義久(一六歳)は、訴外亡金が前記停止線の〇・七五メートル西の地点を横断しているところを目撃していること(乙一の一)が認められるのであるから、原告らの主張は採用し難く、前記認定をした次第である(なお、証人内藤光夫の証言中には、本件交差点の中央付近が衝突場所である印象を持つた旨の供述があるが、右は同人の推測の域を出ない上に、右供述によつても訴外亡金が横断歩道上を横断していたことにはならない。)。

二  過失相殺率

右一の認定事実に基づいて、過失相殺について検討するに、まず、被告においては、前方を十分注視していなかつた過失が認められる。なぜならば、証拠(乙一の一、草野証言)によれば、被告車の後続車を運転していた前記草野は、被告車から一二メートルないし七、八メートル程度の車間距離を保つて走行していたところ、植込に至る前の横断中の訴外亡金の姿を四一・一五メートル手前(位置は本件交差点の一七メートル以上手前である。)で既に発見していること、しかも、最終的には衝突地点よりも手前で停止していること、被告車の運転席は草野車(二トントラツク)のそれより低いとはいえ、植込の高さに照らすと必ずしも対向車線を見通すことが不可能ではなかつたことが認められるから、被告においても、実際に発見したよりも早期に訴外亡金を発見し衝突を回避することは可能であつたと言えるからである。

他方、訴外亡金については、幹線道路上の、信号機により交通整理の行われている本件交差点直近を、本件交差点の信号表示に従わずに横断した点に重大な過失があり、また、本件事故状況に鑑み、被告車の進行車線を横切るに際し、左方の安全確認をすべきであるにもかかわらず、右注意義務を怠つたものといわざるを得ず、この点も看過できない。

以上、被告と訴外亡金の各過失を比較勘案すると、本件現場が市街地にあることを考慮しても、同人の損害の六割を減ずるのが相当である。

三  損害

1  治療費(争いなし) 五三万四四九〇円

2  遺体運送費 六八万九九二二円

証拠(甲一三の四の四)によれば、大韓民国までの訴外亡金の遺体の運送費は原告らの主張額のとおりと認められる。

3  葬儀費用 七三万六五三六円

証拠(甲一三の四の三、甲一三の二の二、原告朴本人尋問の結果)によれば、原告らの主張のとおり、葬儀費用として合計七三万六五三六円を要したことが認められ、右は、その金額に鑑み相当因果関係にある損害といえる。

4  大韓民国と日本との間の旅費 一八万五六四三円

証拠(甲一三の二の三、原告朴)によれば、訴外亡金が死亡したことに伴い、妻である原告朴が大韓民国まで往復したこと、訴外亡金の兄妹が日本へ渡航したことが認められ、これらに要した航空機代及びそれに付随した費用は本件交通事故と相当因果関係にある損害であると認められるところ、その額は少なくとも原告らが主張する金額を下らないものといえる。

5  その他の交通費 一万九五八〇円

証拠(甲一三の一の一ないし二七、原告朴)によれば、訴外亡金が入院中、あるいは死亡した際に、原告朴が要した交通費の合計は、少なくとも原告らが主張する金額のとおりであり、これは本件事故と相当因果関係にある損害と認められる。

6  死亡による逸失利益(請求 六二六九万七四二五円) 一七〇一万九一三八円

証拠(甲二、五、六、一四、原告朴)によれば、訴外亡金は、本件事故当時、健康な三六歳の男性(一九五三年三月一七日生まれ)であつたこと、同人は、一九七九年(昭和五四年)に大韓民国の国立釜山大学文理学部哲学科を卒業したこと、同大学卒で、同人の妻である原告朴が、一九八八年(昭和六三年)に在日韓国人のための派遣教師として来日したため、その一か月後、同人も日本の大学院に入学するために来日したこと、本件事故当時は、希望する専門科目は決まつておらず、入学のために日本語などの勉学中であつたこと、同人は、将来日本で就職することを希望していたが、叶わなければ大韓民国に帰国して就職するつもりであつたことの各事実が認められる。してみると、訴外亡金の逸失利益については、大韓民国の労働部発行の職種別賃金実態調査報告書一九八九年・学力別・年齢階層別・全経歴・男子・大学卒の三五歳から三九歳の平均年収額一三一七万一一一二ウオン(甲三によれば月額給与額八五万一七六四ウオン、年間特別給与額二九四万九九四四ウオンと認められる。)を基礎とするのが相当であり、日本円に換算すると、一九九三年七月八日現在の売値レートは一円が七・四三〇六ウオンである(甲一五)から一七七万二五五〇円(円未満切捨て)となる。また、訴外亡金は、本件事故に遭わなければ、大韓民国における平均余命である三三年間(甲四)就労可能であつたものと認められる。更に、訴外亡金が妻と暮していたこと等を考慮し、生活費控除は四割とするのが相当である。以上より、中間利息をライプニツツ方式により控除して本件事故時における現価を算出すると、次のとおりとなる(円未満切り捨て)。

1772550×0.6×16.0025=17019138

ところで、原告らは、逸失利益の算出基準として日本における賃金センサスにおける賃金額を用いるべきである旨主張する。しかし、前記のとおり、訴外亡金は日本の大学院入学の目的で来日したこと、本件事故に遭うまで約一年間余りが経過していたが、その間は日本語等の勉強中であつたことが認められる。従つて、また、同人の在留資格も留学であつたと推認できる。更に、前記証拠(原告朴)によれば、訴外亡金は、妻である原告朴の同伴家族として来日していたところ、同原告の日本における派遣教師の任期は一九九一年四月までの予定であつたことが認められる。これらの事情に鑑みると、訴外亡金について、将来日本において就業する高度の蓋然性を認めることはできないから、日本における平均賃金額を基礎とすることはできない。

7  慰謝料(請求二二〇〇万円) 一五〇〇万〇〇〇〇円

本件事故に遭遇した際に被つた訴外亡金の恐怖や苦痛、来日し、大学院への入学をめざしていた矢先、妻や母親らを残したまま前途を断たれた同人の無念さ、年齢その他諸般の事情を考慮すると、慰謝料として右額が相当である。

8  合計 三四一八万五三〇九円

四  過失相殺及び填補

右8の金額について、前記二のとおり、その六割りを過失相殺により減じた残額は一三六七万四一二三円(円未満切捨て)となる。従つて、填補額二二五三万四四九〇円を上回らない。

五  以上の次第で、原告らの請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小西義博)

別紙 〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例